阿含経と密教

修行に行き詰まりを感じているあなたへ、釈尊からのメッセージ その② 20210824

解脱の修行は難しいという声を頂くことがあることを、「修行に行き詰まりを感じているあなたへ、釈尊からのメッセージ①」でご紹介しました。

ここでは、解脱の修行は難しいと感じることについて、阿山恭久師のご著書とWEBをもとに、管理人の拙い体験も踏まえて見てみましょう。

① 阿含経は、普段使用しない漢字が使われていて、その意味するところ(イメージ)が湧きにくかった。

② 慣れない単語が多く覚えるのに時間を要した。

③ 既知の単語が出てきますが、釈尊の仏教では異なった意味で使用されているので、それまでの知識を離れることが出来ず、受け入れるのに時間が必要だった。

④ 主に漢文の読み下し文ですが、呉音読みもありわかりにくい。

⑤ 現代人のわたくし達が、理解し受け入れできるように、その意味するところ(イメージ)の把握が必要でした。阿山師は、それを行って下さっていますが、これを受け入れるには、素直で謙虚な心で接することが必要です。

しかし、現代人、管理人も然りですが、素直で謙虚に受け入れることが出来にくいのです。が、ここには解脱に向かうやり方が説かれていると「信」じて、継続を致しましょう。

⑥ 今では、毎日ノートに自身の解脱のために必要な智慧と、阿羅漢へ向かう道を説かれた阿含経の一節を毎日書くようになりました。

⑦ 五冊の『阿含経に学ぶ脳と心』シリーズが世に出され、さらにその補足あるいは集大成として『ひの出版室HOME』がWEBで公開されています。電車の中でも阿山師の懇切、丁寧な、究極の解脱の方法を学ぶことが出来ますので、常に触れるようにしたいものです。

継続は力なりです。当初は「猫に小判」、「豚に真珠」の我々ですが、素直な心で続けることで、本来はやさしい須陀洹、斯陀含、阿那含、阿羅漢・仏陀への道が見えてくるのではないでしょうか。ちなみに調べてみますと「猫に小判」、「豚に真珠」は新約聖書に出てくる言葉でした。

 

さて、多くの仏道修行者の方は、大乗仏教でいうところのいわゆる六大煩悩「貪、瞋、痴、慢、疑、悪見」を切る、あるいは六波羅蜜の「布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧」をベースにご修行に励んでおられることと思います。

密教では、法を修する前に必ず「護身法」を切りますが、「戒定慧解脱解脱知見の五分法身を磨瑩す」とまずお唱えします。これは六波羅蜜の「戒、定、慧」に「解脱、解脱知見」を加えたもので、五分法身と言われるものです。この原典と思われるお経が中阿含経『盡智経(尽智経)』あるいは『慚愧経」です。これは、わたくし達、凡夫が須陀洹、須陀洹、阿那含、阿羅漢・仏陀に至る修行段階を示したお経です。

また、本WEBの読者の皆様は、釈尊の解脱法も学び取り入れてご修行をされていることと思います。「正思惟」により釈尊の「智慧」を表面意識で理解、納得し、取り入れ解脱の修行に向かいます。しかし、戒を護ろうとしても、無意識からの激しい反発、抵抗を感じる方も多いのではないでしょうか。あるいは、大きな壁のようなものが立ちふさがり、どうにも前に進めないという経験がおありかもしれません。管理人も然りで、あまりの反発の強さにくじけそうになることしばしばです。

そのような修行の段階は、どうしたら脱出できるのでしょうか。阿山師によれば、概ね、

① 小さなことにも喜びを見出し、脳の部位を活性化し喜びを蓄積する
これは、朝起きて、朝食をとるとしましょう。パンを食するとすれば、小麦を作って下さる農家の方がおられ、種をまき、肥料を与え、収穫し、それを集めて梱包し、配送し、コンテナに入れ、輸送船に積み込み、太平洋を渡り、日本に到着し、税関を通り、国内で分配、小分けされ、粉砕され、パックされ、配送されてお店に小麦粉が並びます。この小麦粉をパン屋さんが調達し、煉って、美味しく焼いて下さる。このパンを、わたくし達は朝頂いています。これを直接的に支える多くの人々、間接的にささえる肥料、農業機械、燃料、電気、トラック、道路、輸送船等々の恩恵を受けています。

このようなことを思い起こし、そのお陰で美味しいパンを頂いていると、思いを馳せると、自らありがたいと言う気持ちが湧き上がってまいりませんか。このような小さな喜びを蓄積することが、とても大切です。

「あふれるような慈愛のエネルギー」を念じ、大きな慈愛のエネルギーを神仏から頂く。
「お釈迦様、ナザレのイエス、ヤハウェ、第二の仏陀、八幡大神、日本の神々、解脱に向かう修行者、衆生やあらゆる霊魂の心の中にある「あふれるような慈愛のエネルギー」、これが大光明です。私達、一人一人からも大光明が照耀しています。一人一人が持っている大光明の照耀を強くしてゆくこと、これが求められている修行です。」と平成30年10月17日、大光明として『道を知る 1』に書いて下さっています。

二種類の無明があることを知っておく。
・ 一つは、動物の行動原理から出てくる欲念、身見がありますが、この動物の行動原理が「無明」であるというものです。
・ ヒトは、善悪にかかわらず執着して物事を成し遂げようとする「掉慢無明」の存在があることを知ることが大切です。現世では自己主張を実現すべく様々に表面意識と無意識を使って、果てしなく答えを求めてグルグルと動きます。これは、五受陰の動きで、自己主張「我」による欲求を実現しようとするものです。これは、縁起によって生じた心で、「無明⇒タンハー(愛)⇒行⇒識、、、⇒老病死憂悲悩苦」の世界の動きでもあります。その中には解脱に向かう答えは無いと知ること。縁起の法の世界を離れ、五受陰の動きを離れることから解脱は始まります。

五受陰において「無常、苦、空、非我」を観察すれば解脱するという。このフレーズはしばしば阿含経に出て参りますが、現代人のわたくし達は、イメージすることの困難さを感じてしまいます。話し言葉で説かれた釈尊のイメージはどのようなものであったのでしょうか。阿山師の解説と管理人の拙い体験をもとに、解説に挑戦してみましょう。

  1. 無常
    アビダルマ以降の仏教では、無常の対象は、宇宙の森羅万象とされています。この理解が、わたくし達を釈尊の仏教を理解困難にしている原因の一つです。釈尊は、無常とは常ならず、変化し、消滅するもの、という意味で使われています。何が変化し、消滅するかというと、わたくし達の脳と心、つまり五受陰であり縁起の法による脳と心の動きが、変化し、消滅する。別の言葉でいえば未来永劫同じ反応を行うのではなく、それを離れ、断ずることが出来る。そうすれば、五受陰と縁起の法の反応は消滅して無くなるということを無常と言います。
  2.  
    五受陰や縁起の法の世界の脳と心の動きは、苦を生ずるということを理解し、表面意識に上がってきた苦を観察し、その苦への答えを求めるのではなく、そこから離れることです。楽と不苦不楽についても、縁起の法の世界で動いている限りは、最終的に苦となる事を知り、それを観察する。
    タンハー(愛)を妨げる場合は「苦受」となり
    タンハー(愛)を満たす場合は「楽受」となり
    タンハー(愛)を妨げたり満たしたりする場合は「不苦不楽受」となります。

  3. 宇宙の森羅万象を対象にしないことが大切です。空の対象は、自身の脳と心です。五受陰や縁起の法で生じた脳と心は、過去の記憶と外界の情報の和合、さらに有結から生じるタンハーによる反応だと知ることです。脳の中で作り出された実体のない、変化した幻影であるのです。それは外の世界にその実態はなく、脳内で変わってしまったので「空」と言い、「変易の法」とも言います。従い、この五受陰と縁起の法から離れることが必要です。
  4. 非我
    「我れに非ず」と観ることですが、何が我れで無いのでしょうか。五受陰と縁起の法の、脳と心の動きが、我れでは無いのです。「無明⇒行⇒識、、、」という縁起の法の動きは、前述の二つの無明から生じていて、この掉慢無明は「我慢」とも言われ、執着と輪廻転生の原因となることを知っておくことは、修行にとても役に立ちます。この「非我」ができるようになると「無我」の境地となります。無我は、我(自己主張)が全くなくなり、神仏の御心が脳に直接入ってくると、阿山師は書かれています。

 

④ 表面意識のへばり付いた心を「離れ、断ずる」択法覚支を実践して、「戒」を護ります。最初の段階は、自然の神力を使い、この心の動きを、「やさしくを切ってね」と、無意識に伝えることから始まると、阿山氏は説かれています。

やがて、無意識が、釈尊の智慧をもとに、その解を探してくれると、一瞬の内に「択法」ができるようになります。

 

お釈迦様は、在家でも可能な修行を、中阿含経『尽智経』にて説いて下さっていました。凡夫から須陀洹、斯陀含、阿那含、阿羅漢・仏陀にいたる二十四の階梯です。修行の第一歩からどのように歩んでいくのかを、説明してくださっています。阿山師による解説と拙いながら管理人の体験を付加しました。

① 善知識に奉亊す
善知識とは、解脱のやり方について良く理解している先達のことです。

② 往詣す
善知識の居られるところに繰り返しお参りする。

③ 善法を聞く
善法とは、解脱の具体的なやり方で、それを聴聞する事です。

お釈迦様の解脱法は難しいものではなく、素直な心でお聞きすれば、だれでも理解できるものであると思うこと。ご在世当時は、現在存在しているお経は無く、すべて話し言葉で説かれ、出家も在家修行者も、それを記憶し繰返して修習されました。その時の説法のイメージをしっかりとらえることが肝要です。

阿山師は、現代のわたくし達が理解できる言葉に蘇らせて受け取ることが出来るよう、翻訳して下さっています。わたくし達は、これを素直で謙虚な気持ちで受け入れることが大切です。

④ 耳界す
善知識からの言葉が耳から入るようになる。

当初はなかなか言葉すら入ってきません。管理人の場合は、阿山師が、解脱に関する大切なことを説かれていると直感的に理解できるのですが、なかなか頭に残らない状態が続きました。やがて言葉を記憶し、思い出せるようになりますが、イメージが湧かないので、ご著書やWEBを読み直すことの多い段階と言えましょう。

⑤ 法義を観る
法とは心の動き、プログラムのこと。心の正しい使い方、解脱のための智慧の意味が理解できるようになる。

解脱に必要な言葉を覚え、その意味するところがイメージ、把握できるようになります。

⑥ 法を受持する
解脱のためのやり方と、智慧を、いつも持ち続ける。

お釈迦様の智慧をイメージできるようにはなりましたが、仕事や家事をしていますと失念してしまうことも少なからずあります。その都度、思い起こす事が大切です。

管理人は、小さなノートに、自身にとって必要な解脱のやり方と智慧を、毎日書くようにしています。これは、意外な効果がありますのでお勧めです。「耳界す、法義を観る、法を受持する、法を翫誦す、法忍観る、信、正思惟、正念正智、護諸根」を、自然に行っていたことになりました。

⑦ 法を翫誦(がんじゅ)す
翫は深く味わうことで、繰返し繰返し心の中で唱えること。

このことで、表面意識での理解が無意識に入るようになります。

⑧ 法忍観る.
悪い心ぐせを観察し、知り耐え忍ぶこと。

「戒師」をおいて、自らの脳と心を常に観察することで、自身の悪不善の心が観察され、これを離れるのだと思うことでそれに耐え忍ぶ心が生じることが観察される。

⑨ 信
解脱のやり方、智慧を理解し、それを信じて、悪い心くせから離れる修行を進める。

⑩ 正思惟
解脱のやり方、智慧に基づいて、心を正しく理解し観察する。

正思惟は「四諦(八正道)十二因縁(縁起の法)」について理解して、正しく思惟変更をプレビュー (新しいタブで開く)、観察し、苦からの解脱に向かう。わたくし達が悩み苦しむ脳と心の成り立ち(原因)を理解し、さらに欲念、恚念、害念が欲悪不善の心の動きであると理知的に表面意識で納得し、自然の神力が働くための情報を蓄積し、これを無意識に静かに伝えます。

「正思惟」についてわかりにくいとの声を頂いています。下記をご覧ください。

「正思惟とは、色について如実に知ることです。正思惟を為せば欲貪を断じて護戒を実践することが出来ます。

ここまでの正思惟の記述は四諦の法門、いわゆる苦、集、滅、道に触れておりませんでした「苦、集、滅、道について実の如く知る」これも正思惟が必要とする大切な項目です。

もうひとつ触れていないことがありました。緑起の法、十二因禄です。縁起の法も正思惟にとって大切な項目です。

正思惟から護戒に向うには、その間に正念正知、護諸根の二つの階梯があります。ここからの階梯は実践することを求められています。

もう一度、色とは世間にある物事ではなく、心の中で愛を満たそうと動いている情報です。
この色について正思惟すれば、欲貪を断じ心解脱に向います。

正思惟は無常の盛火を生じる心の成り立ちを潜在意識に定着させで,自然の神力が正しく働くように「情報の蓄積」を為します。』という。

『仏陀に学ぶ脳と心 第四巻 無常の盛火を断じ尽くす』73頁より引用

「色について如実に知る」、「四諦の法門」、「縁起の法、十二因縁」については、このリンク開いてご覧くださいください。
また、下記をご参照ください。

  • 色について如実に知る
    『仏陀に学ぶ脳と心 第二巻 お釈迦様の智慧を求めて』32、41頁をご参照ください。
    『仏陀に学ぶ脳と心 第三巻 阿含経に読み解く般若心経』59頁をご参照ください。
    『仏陀に学ぶ脳と心 第四巻 無常の盛火を断じ尽くす』60頁をご参照ください。
    『仏陀に学ぶ脳と心 第五巻 掉慢無明を捨離す』92頁をご参照ください
  • 四諦の法門
    『仏陀に学ぶ脳と心 第二巻 お釈迦様の智慧を求めて』154頁をご参照ください。
    『仏陀に学ぶ脳と心 第三巻 阿含経に読み解く般若心経』125頁をご参照ください。
  • 縁起の法、十二因縁
    『仏陀に学ぶ脳と心 第二巻 お釈迦様の智慧を求めて』115頁をご参照ください。

⑪ 正念正智
正思惟を使って欲念、恚念、害念を観察し、無欲念、無恚念、無害念の成就を目指すこと。正念正智はWEB「四念処観と七覚支による解脱システム」をご参照ください。

表面意識の欲念、恚念、害念を観察し離れることで、無欲念、無恚念、無害念となる。表面意識に上がってくる原因である「苦、楽、不苦不楽受」、「タンハー(愛)、有結」、さらに二つの無明である「動物の行動原理(欲念)」と「ヒトの執着(掉慢無明)」について理解しておくことが役に立ちます。

⑫ 護諸根
楽受、苦受、不苦不楽受により生じた「行」が大きな苦しみに育たないように、制御する。

最初は、表面意識でのこの悪不善の心を離れ、次いで無意識にこれを切ってねと静かに呼びかけるのだという。

少なくとも、まず表面意識でグルグルと答えを探しまわっている五受陰の「行」を観察し、離れるのだなと理解することが肝要です。それが観察できて、初めて表面意識の動きが止まり、グルグルと回り始めた原初の心、衝動に気づくことが出来ます。

この原初の心、衝動を表面意識で観察出来たら、その原因となっている無意識の心と脳の動きの観察に入ります。最初は、その原因は観察できませんが、悪不善の心を観察したら、無意識に「これを切ってねと」やさしく呼びかけます。これが「自然の神力」を使ったやり方です。

熟達してくると、悪不善の心を感じたらパッと離れ、「溢れるような慈愛」を念じることになります。そうすることで、無意識の脳と心から「溢れるような慈愛」上がってくることを目指します。

詳しくは、「四念処観の基礎(擇法を身につける)「諸根修経と安那般那念法」」をご参照ください。

⑬ 護戒
護諸根ができるようになると、戒を護ることが出来る。

⑭ 不悔
悪い心ぐせが出なくなり、後悔することがなくなる。

⑮ 歓悦
戒を護り、後悔することが無くなれば、無意識から喜びが湧き上がってくる。

⑯ 喜
欲から離れた喜びで一杯になっています。須陀洹の境涯です。初禅に入れるようになりますが、入れる時間(入息といいます)は長い方が良いのですが、一瞬でも良いとのことです。初禅については下記をご参照ください。
「四念処観と七覚支による解脱システム」の後半部分の「参考 四禅について」

⑰ 止(第二禅)
⑱ 楽(第三禅)
⑲ 定(第四禅)
⑳ 見如実・知如真(慧)
㉑厭
㉒無欲
㉓解脱
㉔盡智(解脱知見)

 

 

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