擇法を身につける ひの出版室

 

四念処観の基礎(擇法を身につける)

  諸根修経と安那般那念法

 平成27年3月6日 阿山恭久記す(改訂C..)

 四念処観をどのように為してゆくのか。

 心の動きを悪不善の法から善法に切り替えること、すなわち「擇法(ちゃくほう)」が四念処観を実践するキーワードです。

 阿含経典の中からこの「擇法(ちゃくほう)」を語る経典を二つ取り上げます。諸根修経と安那般那念経です。 

諸根修経(無上の根を修す)

 雑阿含経 諸根修経は、解脱に向かって心を変える作業に取り組んでいる私達にとって、最も役に立つ心の使い方を説いた経典です。

(諸根修経は「仏陀に学ぶ脳と心 第四巻 第四章」に詳説してあります。)

 この経典では四念処観に必要な基礎となる修行法が説かれています。擇法(ちゃくほう)を身につけるのです。

無上の根を修す

 解脱に向かう最初の目標は、世間からやってくる苦楽の種に心が反応して苦や悩みを生じ散乱してしまうことがなくなることです。世間の出来事が自分の愛(タンハー)を満足させるか、愛(タンハー)の思いを邪魔することであると、心が反応してこれに対処しようと動き出してしまいます。 

 この時どうすれば良いのか。

 若し好ましいことであれば、「如来の厭離」を修し、若し厭なことであれば「如来の不厭離」を修して、心の動きが拡大しないようにするのだという。

 これを「賢聖の法律に於いて無上の根を修する」と名づけています。

 このことが雑阿含経 諸根修経に説かれているのです。

賢聖の根を修す

 次にここには「賢聖の根を修する」、すなわち賢聖は心の動きを寂滅すべきことが説かれています。

 「賢聖の根を修する」に説かれていることは、色に対する可意・不可意の心の動きを出来るだけ早く寂滅させることであり、四念処観に必要な「擇法」の実践方法と見ることが出来ます。

賢聖の覚見跡

 さらに「賢聖の覚見跡」、すなわち先達はこのためにどの様な心構えを持って臨んできたかが説かれています。現在の自分の心の状態を恥ずかしく思う、これが解脱に向かって覚りを開いて賢聖となった先達が為してきたことであるという。

 諸根修経には、心に貪瞋痴を生ずる出来事が世間からやってきたときに、対処する方法が説かれているのです。

安那般那念経

 次に安那般那念経について考察してみようと思います。

まず、安那般那念法を修する目的は、

隨順に開覺し、已(すで)に起き、未だ起こらざる「惡不善の法(悪い心癖)」を能(よ)く休息せしむる。

ことであると説かれています。このことを覚えておいて下さい。

安那般那念による擇法

  それでは、雑阿含経 安那般那念経から取り上げます。
安那般那の念を修習すると何が得られるかを説いている部分です。

安那般那の念を修習せよ。
もし比丘、安那般那の念を修習するに多く修習せば、
身心止息することを得て、有覺有觀寂滅し、純一にして明分なる想を修習し滿足す。

安那般那の念を修習しなさい。もし修行者が安那般那の念を修習し多く修習すれば、
身心止息することを得て、有覺有觀が寂滅して、純一にして明分なる想を修習し滿足します。

 安那般那念経の極意を示す大切なテキストです。

 安那般那念経の詳細については、阿山恭久著「仏陀に学ぶ脳と心 第五巻 掉慢無明を捨離す」の中で詳説しています。必ずこの部分を参照して安那般那念経の全体を把握して下さい。

 ここではこの中から最も大切な極意について考察します。

 安那般那の念を多く修習すると達成される四つの項目があげられていました。 というよりもこの項目が安那般那念をどの様に修するかの極意を示しています。

 安那般那念法とは何を修習するのでしょうか。

 安那般那の念を修習するとは、入息して止息することを修習するのです。

修習する四つの項目を見てみましょう。

身心止息することを得る

  身心止息するとはどのようなことでしょうか。ここではまず「止息する」を理解しなければなりません。止息を理解するにはまず「息」のイメージを確立しなければなりません。
「止息」については「仏陀に学ぶ脳と心 第五巻 掉慢無明を捨離す」によってイメージを把握して下さい。

 身が止息するとは何か。身体に力が入っている所がなくリラックスしているのです。

 心が止息するとは何か。ここでの「心」の文字は脳を表しています。脳が穏やかで安らかな状態になるのです。脳波の周波数が下がって穏やかな動きになっています。

有覺有觀を為すことが出来る

  有覺有觀とは何か。有覚とは表面意識の心の動きを、手をつねったら痛さを感じるのと同じ様に感じることができるのです。

 そして有観、その心が動く様を観察している、すなわち身と脳がリラックスして止息していても、意識ははっきりしていて、大きく広がった意識で、ありのままに心の動きを感じ観察しています。
 心身が止息していても、拡大された世界を認識し観察しているのです。 心が止息して寂滅しているから初めて気がつき観察出来ることがあるのです。

有覚有観寂滅し

 脳と心が世間からくる情報に反応して動くことがなく、 脳と心が動いていることを観察することもありません。

  すなわち覺觀が寂滅し、寂滅した脳を生じるのです。

純一にして明分なる想を修習し滿足す。

  入息すれば、心と脳は「純一にして明分なる想」を修習し滿足します。
 明分なる想を修習し滿足するとは何か。

純一なイメージであり、明分な想であるという。

 明分な想とは何か。

 明分とは智慧によって明らかであるのか、それとも光によって明るいのか。

 この「純一にして明分なる想」に安那般那念の秘密があります。

安那般那念法による擇法(入息と出息)

 安那般那の念の修習をどのように為すのか。その極意がここに示されていました。安那般那の念を修する目的とその方法がここに示されているのです。

 安那般那念法は、「入息」と「出息」によって成り立っています。安那般那念法はこの「入息」と「出息」を切り替える、すなわち擇法することを説いているのです。

 入息は散乱した心を脱出して穏やかで安らかな脳と心に切り替えます。 寂滅を成就し「純一にして明分なる想」を修習し満足するのです。

 社会活動をするときは入息し寂滅した状態から「出息」して活発な脳と心に切り替えて(擇法し)精進します。

 この入息と出息が説かれていること、このことから仏陀の解脱システムは完璧であると知り感じることができます。

 安那般那念経は、仏陀の解脱へのコツを示す究極の経典です。この経典に説かれたコツを実践することによって、阿羅漢倶解脱の最終段階に向かうことが出来ます。「寂滅の所作を知り神通を開発し涅槃に向かう」のです。

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