前世のストレス感をなくす ひの出版室

 

前世のストレス感をなくす。

  平成27年2月18日 阿山恭久記す。(改訂A)

 修行が進んでくると世の中に対する苦しみや悩みはほとんどなくなっています。 世の中からは何も苦しみや悩みの種がやって来ていないのに、心の中にはストレス感「憂苦・悔恨・埋没・障礙」がある、こんなことがあるのでしょうか。このようなストレス感を観察して、これをなくさないと解脱は完成しないのです。

「憂苦・悔恨・埋没・障礙」

 このストレス感はどこからっやってくるのでしょうか。

 前世に原因があるストレス感が潜在意識から漏れてくるのです。 雑阿含経 甚深経にはこのことが説かれています。

 このストレス感は「憂苦・悔恨・埋没・障礙」であるとその姿が示されています。

 縁起の法など仏陀の智慧を身につけて、世間からやってくる苦楽の種に心が反応しなくなっていても、まだ心の奥底からストレス感が湧き上がってきます。世の中に何も起きていないのにストレス感があるのです。

 前世でなにかを成し遂げられずに心が満たされないまま命が終わってしまった、その記憶が今生に受け継がれて生じているのです。此のエネルギーは有結と愛(タンハー)と呼ばれています。

前世のストレス感をなくすには

 解脱の第三段階はこのストレス感をなくすことです。

 このストレス感を無くすにはどうすれば良いか。雑阿含経 甚深経のテキストを拾ってみましょう。

 「一切の取より離れ、愛盡き、無欲にして寂滅涅槃す」のだという。

 さらにこの経典ではこれに向かう方法、「無為」と「相続滅滅す」が説かれています。

 雑阿含経 甚深経については、「仏陀に学ぶ脳と心第二巻 お釈迦様の智慧を求めて 第四章第二節」に詳細に解説しています。ご参照ください。

   前世のストレス感をなくす 終わり

参考 無明について

無明(欲念)から恚念・害念へ、縁起の法によって知る

 ここでもう少し恚念・害念が動き出す姿を「縁起の法」に沿ってみておきましょう。

・ ここまで、「無明」が 「行(ぎょう)」を生じ、」「識」、「名色」、「六入」によって、「觸」が起き、「觸」によって、「受」を生じることを解説してきました。

・ この対処すべき情報「受」に基づいて、動物の欲の心が 「愛(タンハー)」の形をとって表面意識に浮かび上がります。
・ 動物の欲を実現しようとする執着、「取」が動いて、
・「受」を五蘊(色受想行識)に展開転変し、実際に行動しようとする姿、「有」を脳内に作り出します。 この「有」は恚念・害念によって「動物の欲」を実現しようとしているのです。
・ 出来上がった「有」を為そうと、生まれながらの生き方「生」が動き出します。
この「生」は輪廻転生によって前世の思いを引き継いだ生き方であり、「動物の欲」を実現しようと動く、自分本位の生き方です。 恚念・害念が具体的な形となって表れるのです。
・ この生き方では、我を護ることは出来ず、動物の欲が満たされることもありません。欲が満たされない以上、苦である、「老病死憂悲脳苦」が生じてしまいます。恚念・害念の行動は「老病死」を生じ、「憂悲脳苦」を生じてゆくのです。
( 「老病死憂悲脳苦」については、「仏陀に学ぶ脳と心 第五巻」で解説しています。ご参照下さい。)

 縁起の法が説いている「無明」欲念から恚念・害念が動き「苦」を生じる様子を見て頂きました。

 さて、無明が浮かび上がってきたら、離れようと心を向けます。
無明から離れていれば、縁起の法のこのプロセスが動くことがなく恚念・害念は生じません。


 動物の欲の無明と、掉慢無明

 今まで動物の欲への執着である「無明」を論じてきましたが、無明にはもう一つ「掉慢無明」があります。「掉慢無明」は過去世の満たされない思い、愛(タンハー)を実現しようと執着し、輪廻転生を起こします。
無明にはこの二つがあり、この二つを捨離した解脱は明解脱と名づけられています。
このことは法行には登場しませんが、恚念・害念が動いて、苦しい思いか続いているときに、「掉慢無明」から出発する縁起の法を知っていると役に立つと思い、ここで取り上げておきます。

 心が、苦である「老病死憂悲脳苦」によって占められていると、「掉慢無明」を出発点とする縁起の法の動きが生じます。苦は、「動物の欲」や「愛(タンハー)」が実現しないときに生じます。

  縁起の法の出発点が「掉慢無明」であると、縁起の法はどのように動いてゆくのでしょうか。

・ 掉慢無明の執着の対象は「我・我所」ではなく、前世の満たされない思い「愛(タンハー)」です。「愛(タンハー)」が満たされる可能性を探して、「行(ぎょう)」を生じます。
・ 過去の記憶「識」にその可能性を見つけて、その姿を、「名色」として捉えます。
・ ここでの、 「六入」は、六處のうちの「意」で、心の動きを探して、三事和合「觸」を起こします。
・ 「觸」は「受」を生じます。「受」は「愛(タンハー)」を満たす可能性につながる脳内の情報「色受陰」です。
・ この「受」に基づいて、「愛(タンハ ー)」が表面意識に浮かび上がります。
・ 「愛(タンハー)」を実現しようと、掉慢無明の執着「取」が動いて、「受」を五蘊(色受想行識)に展開転変し、実際に「愛(タンハー)」を満たそうと行動する姿、「有」を脳内に作り出します。
「有」は「愛(タンハー)」を実現しようとしているのです。
しかし苦の心が動いているときには、「愛(タンハー)」を実現する姿がなかなか出来上がってこないのです。
・ 出来上がった「有」は生まれながらの生き方「生」を動かします。この「生」は、「愛(タンハー)」を実現しようと行動する、自己中心の生き方です。 つまり欲念・恚念・害念が動いてしまうのです。
・ この生き方では、「愛(タンハー)」を実現することは出来ず、「愛(タンハー)」を実現出来ない以上、苦である、「老病死憂悲脳苦」が続いてしまいます。

 

 

 

 「愛(タンハー)」が自己中心の思いである限り、苦を生じる輪廻から脱出できません。どうしても「愛(タンハー)から離れることが必要なのです。

無明からの脱出

 無明からの解脱はどの様に成し遂げられていくのか。

 


まず動物の欲の無明「欲念」を離れ、次に「愛(タンハー)」を離れ、そして「掉慢無明」を離れます。

 無明からの脱出は、このように成し遂げられてゆきます。

無明について 終わり

 

 

 

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