仏陀の解脱法 ひの出版室

 

仏陀の解脱法

  阿山恭久 記す(改訂F.)

 このホームページと五巻の「仏陀に学ぶ脳と心」阿山恭久著 では、仏陀の解脱法を解説しています。

原始仏教へのアプローチ

 原始仏教すなわちお釈迦様の教団でその時代に指導されていた解脱の方法は、阿含経典に残されています。けれどもこの阿含経を読み解くには少し気をつけなければならないことがあります。経典にある語句をアビダルマや大乗仏教の概念を使って読み解こうとすると分からなくなってしまうことがたくさんあるのです。阿含経典にある語句はお釈迦様の時代の言葉のイメージに捉え直さねばなりません。また当時、誰にでも当たり前であったことは経典に登場しないで省略されています。このことを承知してよく分かって読み解くことが必要です。

密教と大乗仏教

 お釈迦様の仏教を伝えてきたインドの言葉(パーリー語)では、日本語と同じ様に主題に関する表現が省略されていて「暗黙の了解」になっていることがあります。 そのため時代が経つと、主題に考えられる概念を全て適用して拡大解釈し、仏教はどんどん変遷していったのです。それでも何とか元に戻そうと新しい解釈が加えられてゆきます。

 最後の時代に編成された仏教・密教は、大変勝れた訓練システムを持っています。しかし、お釈迦様の時代の修行の持つ大切な心の使い方を秘伝としています。修行者はこの部分を自分で見つけなければなりません。密教を理解するには、原始仏教の道筋を身につけるのが一番近道です。 もう一つ密教と大乗仏教を理解するのに必要と思われることがあります。一世紀以降に仏教に取り入れられた他の宗教(キリスト教など)の教えです 。この二つを知って密教や大乗仏教を見にゆくと、ああそうなのだ、と納得できることが沢山でてきます。変遷した原始仏教と他の宗教が習合しているのです。

 少し脱線しました。本論に戻ります。

仏陀の解脱システム

 多くの人々が仏陀の解脱システムは三十七菩提分法であるとしています。お釈迦様が説かれた三十七菩提分法は、実践すれば間違いなく解脱できると確信できるものでしょうか。多くの場合、この道は高度で難解なものと捉えられています。 

 お釈迦様が説かれたことは誰にでも分かる易しい道であるというのが、私(著者 阿山恭久)の信念です。

 三十七菩提分法も、誰にでも分かる誰にでも実践できる、論理的で解り易い解脱の道であるはずだ、と思っているのです。視点を変え、受け止め方を変えて、「実践すれば必ず解脱できる」と確信できるまでこの道を探求してゆきます。

 ここではこのように仏陀の解脱システムを求めてお伝えしています。

般若心経

 第三巻「阿含経に読み解く般若心経」では、原初教団で実践されていた解脱のシステムが般若心経の短いテキストに表わされていることを紹介しています。

慚愧経と盡智経

 第四巻「無常の盛火を断じ盡くす」では、解脱のシステムの構成を「慚愧経」と「盡智経」に求めています。「善知識に奉事す」から始まって、「法次法向」「盡智」に至るまでを解説しています。

解脱へ向かう ー忍を観察す~神通を開発すへ

 本ホームページの「解脱へ向かう ー忍を観察す~神通を開発すへ」のページには、信行・法行から始まって阿羅漢倶解脱に向かう解脱法を紹介しています。信行・法行では「忍」を観察し知ることから始めます。このページでは阿羅漢倶解脱の境涯についても解説しています。

在家の解脱法 

 さらに在家の修行者が解脱に向かう道について、本ホームページの「歓喜を生ず ー信戒施の実践」と「在家の解脱法 ー聞持観..]、「在家の阿羅漢へ ー己利を逮得す」、の項目で紹介しています。この道は信戒施の実践から始めて、在家の阿羅漢に向かいます。

四念処観と七覚支(三十七菩提分法)

 また、本ホームページの「四念処観と七覚支」のページには、四念処観と七覚支による解脱システムを紹介しています。一乗道である四念処観によって解脱に向かうのが一番易しい道です。

 本ホームページには、更に「八正道による日常生活 」、「如意足と根・力」の二つのページを加えて、三十七菩提分法の全体を俯瞰出来るようにしています。

(三十七菩提分法については、第一巻・第二巻・第四巻・第五巻で解説しています。

安那般那念法

 第五巻には安那般那念法による解脱に向う実践法をお伝えしています。安那般那念法は仏陀の解脱への技術を伝える最も大切な項目です。安那般那念法によって解脱の最終段階が成就します。まず解脱の基礎となる部分を、第一巻から第五巻および本ホームページによって実践することが必要ですが、解脱の最終段階に向かうときには安那般那念法の技術を正しく知ることが必要です。第五巻にその全体像を記述していますが、さらに本ホームページ「四念処観の基礎 ー擇法と安那般那念」にその極意とも言うべき中心技術を取り上げています。

 安那般那念法によって解脱を為している先達からその極意を伝え聞くこと、これが実践法をみつける近道です。

当たり前のことを実践する

 仏陀に学ぶ脳と心のシリーズでは、たとえ仏陀の解脱法であっても、「当たり前のことが当たり前のように説かれているはずである」という信念のもとに、阿含経典を解釈し、できるだけ易しく解説しようとしています。仏陀の解脱法は摩訶不思議な世界ではなく、私達でもそのまま実践できるものであると見ているのです。

 解脱に向かう作業は、今の自分の心の状態を正しく知り、また次に到達すべき境涯を正しく具体的に知ることから始めます。そして、当たり前のように阿羅漢倶解脱に向かう階梯を一段ずつ着実に登ってゆきます。

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