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批判するときは①

  雑阿含経擧罪経より

  平成25年8月27日  阿山恭久 記す

まわりの人が善くない言動をしたり、善くない生活態度や悪い心癖を持っているときにその人を批判し、その罪を指摘し責めることがあります。このようなときにどの様な心をもってなすべきか。人を批判し責めることが許される心の持ち方はどのようなものか。お釈迦様の説法を聞きましょう。
雑阿含経挙罪経には、
 心癖などを指摘する人の心構え。
 心癖などを指摘された人の心構え。
 本当でないことを批判してしまった人の心構え。
 本当でないことを批判された人の心構え。
 人の批判をしたら心が滅入ってしまった人の心構え 。
 批判されると瞋りを発し恨みを発してしまう人はどのような人か 。
 批判されたら瞋りを発し恨みを発してしまう人にはどのように対処したらよいか。
などが説かれています。順に見て行きましょう。

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(タイトル以外の太字の部分は 国訳一切経印度撰述の部阿含の部 大東出版社 から引用しています)

人の批判をするときは

心に五法を安住せしめば他の罪を擧ぐることを得。 如何が五と為す。

心の持ち方に五つのことを満足していれば、他人の罪を指摘してもよいでしょう。五つとは何か。

①  實にして不實に非ず。

指摘している内容ががほんとうのことでであって、嘘ではない。

② 時にして非時に非ず。

ものを言うには、言って良い時と言ってはならない時があります。
言っても良いときであれば罪を指摘してもよいでしょう。タイミングがあるのです。

③ 義饒益して非義饒益せるに非ず。

罪を指摘することが意味があり役に立つ場合であれば良いけれども、役に立たない意味のないことで人を責めてはいけません。どうにもならないことや、言ってもしょうがないことがあるのです。

④ 柔軟に麁澁ならず。

柔軟で穏やかな言葉づかいをし、荒っぽい言い方をしてはなりません。

⑤ 慈心にして瞋恚せざるなり。

慈悲の心からでるものであって、怒りや恨みによって指摘してはなりません。
これはとても大切なことです。怒りの心を含んで言ってもただ反感を買うだけなのです。

舎利弗、擧罪比丘此の五法を具せば他の罪を擧ぐることを得。

シャーリプトラよ、修行者はこの五つの心を備えていれば人の罪を指摘してもよいでしょう。

人の悪い心癖や言動を批判し指摘する人はまずこの五つの心の条件が整っていなければなりません、良く自分の心を観察して心の持ち方が正し意ことを確認してから為さねばなりません。 これは私たちにとってとても大切な心構えです。

悪いところを指摘すると怒り出す人は

舎利弗、佛に白して言さく 「世尊、我れ他の比丘の罪を擧ぐるに、
   實にして不實に非ず。
   時にして非時に非ず。
   義饒益して非義饒益せるに非ず。
   柔軟に麁澁ならず。
   慈心にして瞋恚せざるに。
然かも彼の擧げらるる比丘は瞋恚を懐く者有り。」と。

シャーリプトラは仏に申し上げました。
「お釈迦様。私が人の罪を指摘するときに、
   指摘している罪がほんとうのことであって嘘ではなく、
   言っても良いときに罪を指摘し、
   意味があり役に立つ事であって、
   柔軟で穏やかな言葉づかいをし、
   慈悲の心で言ってるのに、
それでも罪を指摘された修行者が瞋り恨みをもってしまうことがあります。

悪い心を指摘すると怒りだし恨みを持つ十七種類の修行者

佛、舎利弗に問ひたまはく
「何等の像類の比丘、其の罪を擧ぐるを聞きて瞋恚を生ずるや」と。

お釈迦様はシャーリプトラに質問されました。「どんな種類の修行者が悪い心を指摘すると怒り恨み出すのですか、」と。

「世尊、若し彼の比丘、

お釈迦様、もしその修行者が次の心を持っていると、

① 諂曲にして

  自分が徳がないことを隠そうと人にへつらって生きている人で

② 幻偽し、

自分が本来持っている悪い心を隠して、本来とは違う姿に偽って振るまい、

③ 欺誑し、

自分は偉いのだから少々良くない言動をしても責められることはないとタカをくくって横柄にふるまい、

④ 不信、

人の真心を信じることがなく

⑤ 無慚無愧、

不十分な自分の心と言動を、自分のなかでも、神仏や他人に対しても恥じることがなく

⑥ 懈怠

なまけて努力しようとせず

⑦ 失念、

自分の心の悪い動きを観察しようとせず、善くない心のままぼんやりと過ごし

⑧ 不定

心が常に世間の動きに反応して散乱したまま定まらず

⑨ 悪慧あり、

自分本位の悪智慧があり

⑩ 慢緩にして

自分は勝れていると慢じて努力せず

⑪ 遠離に違ひ、

悪い心癖から生じる憂苦があってもこの心癖から離れ戒めを護って過ごそうとせず、

⑫ 戒律を敬はず、

世間の戒律を敬うことがなく、大切にせず

⑬ 沙門を顧みず、

出家して修行に励む人に学ぼうとせず

⑭ 勤めて修学せず、

努力して学び向上しようとせず

⑮ 自ら省察せず、

反省することがなく

⑯ 命の為に出家し、

食べ物を得るためだけに出家のグループに参加し、
(現代では食べ物のためだけに仕事も余りしないで会社にいる人など)

⑰ 涅槃を求めずんば、

心の境涯を高めようと求めることがなければ、

是の如き等の人は我が罪を擧ぐるを 聞かば則ち瞋恚を生ず」と。

この様な心を持った修行者は自分の罪や悪い心を指摘されるとすぐに怒りを生じ恨みを持ってしまいます。

瞋(いかり)や恨みを持ってしまう人にはどの様に対処すれば良いか

「是の如き比丘には教授して與に共に言語すべからず。 所以は何ん。
此等の比丘は梵行を破るが故なり。」

このような十七種類の心を持った修行者には、
 ① 教えを授けることもなく、
 ② 仲間としてともに語ることもしてはなりません。
どうしてかというと、このような修行者は梵行を破る(心を変えて静かで穏やかな行動を為そうとしている修行者の心を邪魔し壊してしまう)からです。

                    雑阿含経擧罪経より

 

お釈迦様のご指導はまことに厳しいものです。私達も仲間から話しかけて貰えないようなことがないよういつも心していたいものです。

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