布薩経に見る遺訓 

平成28年10月 阿山泰久記す

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雑阿含経(六三九) 布薩経にあるお釈迦様の遺訓を紹介します。

是の如く我聞きぬ。一時佛、摩偸羅國跋陀羅河側傘蓋菴羅樹林中に住り給へり。
尊者舍利弗と目揵連が涅槃して未だ久しからず。
爾の時世尊、月の十五日布薩の時、大衆の前に於て座を敷き而坐り給へり。

 この様に私は聞きました。あるときお釈迦様は摩偸羅國跋陀羅河側傘蓋菴羅樹林中に滞在しておられました。尊者舍利弗と目揵連が涅槃して未だあまり経っていませんでした。
爾の時お釈迦様は、月の十五日布薩の時、大衆の前に於て座を敷いてお坐りになっておられました。

爾の時世尊衆會を觀察し已りて、諸の比丘に告げ給ふ。
我大衆を觀て、舍利弗、大目揵連、般涅槃せるが以ての故に虚空を見已りぬ。
我、聲聞は唯だ此の二人なり。善く能く教誡を説法し、教授し辯説し滿足しぬ。
二種の財有り。錢財及び法財なり。錢財は世人從り求め、法財は舍利弗大目揵連從り求む。
如來は已に施財及び法財を離れぬ。


その時お釈迦様は集まっている人達を觀察して諸々の修行者達にお告げになりました。
私(お釈迦様)が皆さんの様子を見ると、舍利弗、大目揵連、二人の大先達が般涅槃してしまわれたので、ぼんやりと虚空を見てしまっていますね。
私(お釈迦様)は、皆さんが聲聞として聞くことが出来たのは唯だ此の二人だけだと思っています。善く能く教え誡め説法し、教授し辯説し、その役目を滿足していました。
如來(お釈迦様)はすでに皆さんに施を為すことも、法を説くことも無くなっています。

 

汝等、舍利弗目揵連、涅槃するが以ての故に愁憂苦惱すること莫れ。
譬へば大樹根莖枝葉華果茂り盛んなるが如し。大枝先ず折れ、亦寶山も大巖先ず崩れるが如し。是の如く如來、大衆之中で、舍利弗、目揵連、二大聲聞先に般涅槃せり。
是が故に比丘汝等、愁憂苦惱を生ずる勿れ。
何をか法を生じ法を起し法を作し法と為す有りや。
壞敗之法は而も不磨滅にして不壞を欲せしむるも、是の處有ること無し。
我れ先に説き已りぬ。一切の愛す可き之物は皆離散と歸すと。


あなたたちは、舍利弗と目揵連が、涅槃したからといって愁憂苦惱してはいけません。
たとへば大きな樹が根、莖、枝、葉、華、果が茂って盛んであったようなものです。
大枝が先ず折れ、また寶山でも大巖が先ず崩れるようなものです。
このようにあるがままに見ると、大衆の中で、舍利弗、目揵連、二大聲聞が先に般涅槃しただけです。ですから修行者であるあなた達は、愁憂苦惱を生じてはなりません。
どのように法は生じ法は起き、法を作し法と為しているのでしょうか。
壞敗の法に対して不磨滅と不壞を欲しても、このことわりが有ることはありません。
このことは私(お釈迦様)は前に説き已っていますね。一切の愛すべき物は皆、離散してしまうのです、と。 

 

我れ今、久しからずして亦た當に過去とならん。
是の故に汝等當に自洲を以て自依となし、法洲を以て法依となし、不異洲不異依を知るべし。謂ゆる内身身觀念に住し、精勤方便し、正智正念にして、世間の貪憂を調伏すべし。
是の如く外身内外身受心法、法觀念に住し、精勤方便し、
正智正念にして、世間の貪憂を調伏すべし。
是れを自洲を以て自依となし法洲を以て法依となし、不異洲不異依となすと名づく。
佛此の經を説き已り給ひしに、諸の比丘、佛の説き給ふ所を聞きて、歡喜し奉行しき。


私(お釈迦様)も、今、間もなく亦た當に過去の人となってしまうでしょう。
ですからあなた達は當に、
自洲を以て自依となし、法洲を以て法依となし、不異洲不異依を知るようにしなさい。謂ゆる内身身觀念に住し、精勤方便し、正智正念をなして、世間の貪憂を調伏するようにしなさい。このように外身内外身受心法、法觀念に住し、精勤方便し、正智正念にして、世間の貪憂を調伏するようにしなさい。
これを自洲を以て自依となし法洲を以て法依となし、不異洲不異依となすと名づけます。
お釈迦様がこの經を説き已りになると、諸の修行者は、佛のお説きになった所を聞いて、歡喜し実践いたしました。

 舎利仏と目揵連が涅槃してまだあまり時が経っていないときにお釈迦様が大衆にどのような心構えでいればよいか説法されました。この経典でも、如来が久しからずして過去の人になることを告げられて、これからの修行のあり方を説かれました。
「自帰依、法帰依」を知らなければなりません。その方法は四念處の実践です。
この経典でも、お釈迦様は「自帰依法帰依」、四念處を実践するように弟子達に説いています。

 

 

 

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