貪瞋痴を離れる
平成29年6月26日阿山恭久記す
仏陀の原初経典阿含経には「貪瞋痴」というフレーズが存在していません。少なくとも時代の古い原初経典には見つかりません。阿含経では「貪瞋痴」の代わりに「欲恚痴」または「欲念 ・恚念・害念」というフレーズが使われています。この阿含経のフレーズは「貪瞋痴」とはかなり概念が違うのです。この発見によって仏陀の解脱法は今までよりずっと明解で易しくなりました。貪瞋痴から離れられないで困っている人にも明解な指針が説かれています。
「貪瞋痴」のフレーズは、アビダルマや大乗仏教の時代になると登場してきます。「欲恚痴」または「欲念 ・恚念・・害念」はどうして「貪瞋痴」となってしまったのでしょう。
お釈迦様の時代の「欲」のフレーズは、アビダルマの時代になるとイメージを様々に膨らませて拡大展開され、その中で最も強いイメージである「貪」が採用されて生き残りました。お釈迦様の時代の「欲」のイメージは忘れられてしまったのです。
大乗仏教における「貪瞋痴」のイメージは、煩悩、すなわち悪い心癖を示す代表的なものです。修行者は「貪瞋痴」から離れようと懸命に取り組んでいます。格闘するように煩悩にたち向かってゆきますが、心はなかなかいうことを聞いてくれません。何年も何年も取り組んでいてもやっぱり離れられない。何故でしょう。
お釈迦様のお答えを聞いて下さい。
「貪瞋痴」を直接消そうと思っても消えません。「貪瞋痴」が生じてくる脳と心の仕組みを知って、この仕組みを消すようにしなさい。
このようにおっしゃっています。
「貪瞋痴」を直接強引に消そうとすることを、お釈迦様は「戒取」と名づけて下さっています、すなわち、「貪瞋痴」を出してはいけない、このことを「戒」としていて、この戒に執着しているというのです。
執着だけでは離れられない、「貪瞋痴」が生じてしまう脳と心の仕組みを知って、生じる原因となっている心の動きを消すのだ、とおっしゃっています。
原初経典阿含経に説かれた「欲恚痴」または「欲念 ・恚念・害念」がそれです。脳の仕組みを合わせて説いているのです。
このホームページではこのことを解説しています。
欲念 ・恚念・害念とは ーー 涅槃を得るにはへ
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