解脱の修行は難しいという声を頂くことがあることを、「修行に行き詰まりを感じているあなたへ、釈尊からのメッセージ①、②」でご紹介しましたが、釈尊はやさしく、分かり易く説いて下さっているとして、阿含経に向かうことが大切であると学びました。
ここでは、具体的に解脱の修行をどのように進めたらよいかについて、阿山恭久師のご著書『仏陀に学ぶ脳と心 第五巻 掉慢無明を捨離す』から見てみましょう。なお、
第一段階は須陀洹の境界への修行です。
第二段階は斯陀含に向かう修行です。
第三段階は阿那含に向かう修行となります。
第四段階は阿羅漢・仏陀に向かう修行となります。
「解脱の階梯」
『仏陀に学ぶ脳と心 第五巻 掉慢無明を捨離す』149頁より
この解(管理人注:掉慢無明を捨離するための智慧の解)を見つけにゆく前にもう一度「仏陀に学ぶ脳と心」でとりあげてきた解脱に向う段階を整理しておきましょう。
解脱に向うには
解脱すべき心の動きがあることを観察し見つけます。
解脱の目標が見つかったらこれを寂滅にゆきます。
この二つを脳と心の各階層に対して順に行います。
第一段階
① 解脱への出発点は、心に悪い心癖や至らない動きがあることを観察し発見することです。心に至らない動きを見つけられなければ、人はこれを直そうとは思わないのです。
② 至らない心が見つかったら絶対に直すぞ、と強く決意します。人が解脱に向かうかどうかはこの決意の強さに関わっています。
③ 決意したら、様々に工夫して精進努力します。
④ 世間からやってくる苦楽の種に心が反応しなくなると、心に余裕が出来、心の中に空間が出来るようになります。
第二段階
① 心に空間が出来たら、この空間を使って動物的な欲から生ずる心を観察します。凡夫の心は動物の行動原理によって動いているのです。
② 自分の心が動物の行動原理によって動いている、すなわち動物の自己中心の欲によって動いていることを観察し知ったら、この心を智慧の行動原理による動きに切り替えます。
自己中心の欲の心から、周囲の人や生きものの幸せを優先する心と行動に切り替えます。
③ 智慧の行動原理に切り替わると世間からの憂悲悩苦に心が反応しなくなります。
第三段階
① 心が世間からやってくる様々なことに反応しなくなると、静かで穏やかな生活がやってきます。心が穏やかになると見えてくるものがあります。これを観祭するのです。
② 心の深くにある前世での満たされない思い「有結」からタンハー・愛のエネルギーが漏れてくるのを感じるのです。前世からのストレス惑、憂苦、悔恨、埋没、障礙です。
世間には何も起きていないのに心の奥底からストレスが浮び上がってきます。
③ このストレス感を静かに観察します。ストレスを生じている心の塊が見えてきたらこれを寂滅にゆきます。
④ 有結から漏れてくる心の動き有漏が殆ど寂減したら、有結を成就しようとする執着の心の動きを感じ観察します。ここから心の解脱の第四段階に入ります。
第四段階
① 心の解脱の階梯が順に進んで第三段階が成就してくると、タンハー・愛は随分小さくなり心には静かで穏やかな空間が広がっています。
② ここまで来ると掉慢無明によって我に執着するエネルギーを観察することが出来ます。けれども、掉慢無明の存在について知らなけれは掉慢無明の観察に向うことはありません。掉慢無明がどのようなものかよく知っていることが大切なのです。
③ 今までの段階の心の動きを解脱したときと同じ様に、掉慢無明の捨離に向けて正思惟、正念正智を為し自然の神力を動かします。
お釈迦様の解脱法の全ての段階は自然の神力を使って為されるのでした。
自然の神力は動物が生まれながらに備えている進歩向上し進化するための脳の仕組みです。
自然の神力を動かすには、二つの条件が満足していることが必要でした。
第一は目指している目標がはっきりしていることです。
第二は目標を達成するために必要な情報が充分に脳に蓄積されていることです。
「掉慢無明を捨離すれば」
『仏陀に学ぶ脳と心 第五巻 掉慢無明を捨離す』153頁より
掉慢無明を捨離するには、掉慢無明の心の動きがはっきり見えていることが必要です。
掉慢無明による執着は有結とタンハー・愛の思いを成就することに向けられています。
とりわけ、自分は偉くなければならぬのだと言う猿の心を強めてこれに執着しています。
掉慢無明は、掉慢すなわち自分は偉いのだと高ぶって、自分には思いを実現する力があるのだと慢心して、思いの実現に執着しているのです。
通常の状態では執着の心よりタンハー・愛の思いが先に見えてしまうので、執着の心に気がつくのは難しいのです。まずこの状態から脱出せねばなりません。
執着しても良い思いはあるのでしょうか。
自分を進歩させ解脱に向う思いには執着しても良いのでしょうか。
① 執着が自分の偉さを見せようとするのでなければ、
② 執着が苦を増長するものでなければ
③ 執着が我と我所に向けられていなければ
良いのかも知れません。
進歩と解脱に向う思いはこの条件に合っているのでしょうか。
掉慢無明を捨離すれば
① どんなものごとも当り前のようにたんたんと実践することが出来、
② 大きな精進力によって為し、
③ 如意足の如く自在に為し、
④ 自己実現の喜びより大きい、周囲の幸せによる喜びを感じ、
⑤ 心に散乱する思いが無く、
⑥ 寂滅から出てくる観察力と認識力を備えている。
この様な姿が見えてきませんか、
掉慢無明を捨離すればと、あっさり言っていますが、猿の時代の思いから出た、自分を偉く見せたい思いは余りに強いのです。自然の神力を掛けたぐらいでは消えそうもない気がします。
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自分を偉く見せたい執着が人間を進歩させ文明を高めてきたのです。
この心を寂滅させたら自分がなくなってしまい、何も出来なくなってしまいそうです。
お釈迦様の解は何か。智慧を使いなさいという。どの様な智慧でしょうか。
私達の意識が、自分を偉く見せたい思いは必要ないと納得しなければなりません。
自分を高めて自分が偉くなりたい、この思いに代わるものの見方と思いでものごとを為してゆく。自分が偉くなるために成しているよりも勝れた精進と働きを為すことが出来、自分にとっても周囲にとっても遥かに幸せな結果が得られる。このような心の働かせ方を智慧によって発見し実践するのです
この智慧を脳に定着させれば、掉慢無明は捨離しても大丈夫でしょう。
お釈遊は、この智慧を得て掉慢無明を捨離し阿羅漢に到達した人を「慧解脱した」と名づ
けておられます
慧解脱に必要を智慧は魔法のように難しいものではありません。誰にでも納得出来る、なるほどそうだなと思えるものです。ですからお釈迦様の時代には割に簡単に阿羅漢になることが出来たのです
現代でも、この様に為せば慧解脱するのだとその姿が分かれば難しいものではありません。
阿羅漢になるのだから苦から脱出するのです。凡夫よりも遥かに優れた行動力と洞察力を備えた聖弟子となって、社会に大きく役に立つことが出来ます。
ここでもう一つお伝えしておきたいことがあります。
心の解脱が第三教階まで到達していないときでも、掉慢無明の存在を知っていると掉慢無明を捨離することに向うことが出来そうなのです。修行の初歩の段階でも執着しないで捨離すべきことを知っていて、これを心がけていると修行の進み方が随分早くなります。
掉慢無明の捨離はお釈迦様の解脱の秘伝であると思います。
掉慢無明を捨断すると心はどの様になるのか。
仏陀に学ぶ脳と心第四巻には次の様に記述されています。
眼の所作を知り、
智の所作を知り、
寂滅の所作を知れば
神通を開発し、混繋を得。
このように、人間の心を脱出すると新しい心の状態が生まれます
心の奥深くに存在するストレス感が無くなり、我と我所がない、寂滅純一にして明分なる想を満足した状態になります。
法輪を転ずることに向うのです。
法輪を転ずる前であっても、自由自在に心を動かし、抜群の行動力と精進力を持って活動します。精進力と如意足が日々増進するのです。
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