須陀洹(シュダオン)
仏道修行者として、わたくし達凡夫が、仏陀・阿羅漢へ向かう最初の段階として、まず須陀洹を目指すことになります。須陀洹にはいくつかの定義がありますので、『仏陀に学ぶ脳と心』、『国訳一切経』を中心に全体像を見ておきましょう。
なお、ご承知のように「須陀洹・預流になれば現世でも来世でも、惡趣(地獄の境涯)に落ちることがなく、聖者の流れに入り、心は寂静となってニルバーナ(涅槃)に向います。七回天界と人間界を往復して苦邊を究竟し、阿羅漢」となります。
①「身見、疑惑、戒取」の三結を断じる
「是の如く知り、是れの如く見て、三結の謂ゆる
身見・
疑惑・
戒取を断ず。
此の三結を断ぜば須陀洹を得て悪趣の法に堕ちず」(雑阿含経12581『学経』)
② 仏、法、僧への信、聖戒成就である「四不壊浄(四不壊信)」の成就
「世尊の説きたまふ須陀洹は四法を成就す。何等を四と為す。謂く
仏における不壊浄と、
法僧への不壊浄と、
聖戒成就となり」の四不壊浄の成就(雑阿含経3935『沙陀経』)。
また、雑阿含経12612『四不壊浄経』では、
「仏、法、僧への不壊浄、
聖戒成就すべしと。
亦た当に余人を建立して成就せしむべし」と説かれています。
さらに、「四不壊信」として「仏、法、僧、戒への四不壊信」という長阿含経『遊行経』もあります。
雑阿含経13016『鞞紐多羅経』によれば、「聖戒」とは「十善戒の
不殺生戒、
不偸盗戒、
不邪淫戒、と
不妄語戒、
不両舌戒、
不悪口戒、
不綺語戒
の七つを名付けて聖戒となす」とありますので、四不壊浄での「聖戒」では、十善戒の「身」の3つと「口」の4つの戒を護ることなります。このお経では「意」の「不慳貪戒、不瞋恚戒、不邪見戒」については含まれていません。
③ 「欲悪不善の法を離れ、有覚有観、離に喜楽を生じ、初禅具足して住することを聴(ゆる)されん」
「彼の聖弟子は、
中間に憂苦を起こすと雖も、彼の聖弟子は、
欲悪不善の法を離れ、
有覚有観、
離に喜楽を生じ、
初禅具足して住することを聴(ゆる)されん」(雑阿含経11964『聖弟子経』)
④ 隋信行、隋法行(向須陀洹)、から須陀洹へ
(ア) 随信行(向須陀洹)
「此の六内処法に於て忍を觀察するを名づけて信行と為す。」
(イ) 随法行(向須陀洹)
「若し此の諸法に増上して忍を觀察せば名づけて法行と爲す。超昇して生を離れ、凡夫地を越ゆるも、未だ須陀洹果を得ず、乃至未だ命終せざるも要ず須陀洹果を得。」
(ウ) 須陀洹
「若し此の諸法に實の如く正智もて觀察せば、三結已に盡き已に知る。謂ゆる身見・戒取・疑なり。是れを須陀洹と名づく。決定して惡趣に墮ちず。定んで三菩提に趣き七有の天人に往生し苦邊を究竟す。」
(エ)家家(向斯陀含)
(オ)斯陀含
(『雑阿含経12780六内處経』)